“コカ・コーラ vs ペプシ” 炭酸の王座争いの結末はいかに!?

ビジネスネタ

1886年発売のコカ・コーラと、1898年発売のペプシコーラ。マスメディアが普及し大量消費時代に突入した1980年代のアメリカを舞台に、炭酸飲料業界で起きたコカ・コーラとペプシをめぐるシェア争い通称「コーラ戦争」とも呼ばれる両社の巧みな広告展開バトルは全米で注目の的となり、これまでにも多くの経済誌や書籍をはじめ、さまざまな評論家やジャーナリストによって語られてきました。

この記事では、「コーラ戦争」における、ウソのようなホントの話をご紹介します。

| ペプシの挑戦状

街のいたる所に看板が並び、1970年代まで圧倒的なシェアで市場No.1に君臨していたコカ・コーラ。当時シェア3位だったペプシは、敵無し状態のコカ・コーラに対し、商品名を伏せたコーラの味比べ調査を仕掛け、消費者がどちらが好きかを選ぶ様子を”ペプシ・チャレンジ”としてそのままコマーシャルとして放映しました。この戦略で、コカ・コーラだけを飲む人が18%から4%に急落します。それから現在に至るまで、コークの缶を踏み台にして自販機の上段のペプシのボタンを押す子供のCMなど、有名な過激広告が次々と生まれました。

|政治の世界でも…

この頃には、政治の世界でもコークとペプシは真っ向から対立していきます。企業側は政治力と人気を、政治側は利益を求め、コークは民主党、ペプシは共和党とタッグを組みました。政治家は、選挙期間中にうっかりライバル陣営のコーラを飲んだことがバレれば、それがスキャンダルとなるような事態にまで発展しました。

| ペプシの猛追とコークの失敗

1980年代に入り、ペプシは、マドンナやマイケル・ジャクソンなどのミュージシャン、スポーツ選手を次々と起用したキャンペーンを実施します。ペプシのメッセージは、商品や味を称える代わりに、消費者である若者そのものを称えるもので、商品を彼らの象徴として扱うものでした

「カッコよくなりたいなら…両親が愛用する既存商品じゃダメだ。新しいものを選びなよ」ペプシの勢いはとどまるところを知らず、慌てたコカ・コーラ社が、巨額の費用を投じテストを行った所、従来のコーラよりも美味しいという反応が多く、絶対ペプシに負けないコーラとして、味とロゴデザインを替えた「ニュー・コーク」を発売します。

しかし、旧来のコークファンからブーイングが殺到し、わずか3ヵ月で「クラシック」として従来品に戻しました。コカ・コーラの強みは1886年から続く伝統の味であるにも関わらず、新たな味で伝統の味を消し去ってしまったことが失敗の原因でした。

| 宇宙でも…

1990年代に入ると、コーラ戦争の舞台はついに宇宙へと広がります。95年、コークはスペースシャトル・ディスカバリー号にコーラディスペンサーを載せ、なんと宇宙空間で飛行士たちに飲ませました!コーク派の民主党・クリントン政権時代に行った〝国策戦法〟でした。

これに対し、ペプシはお得意のゲリラ戦法で応戦。98年に「ペプシを飲んで宇宙へ行こう!」という、当時計画されていた民間宇宙旅行と組んだ壮大なキャンペーンを展開し、またも世界各国で話題を振りまきました(結局、主催会社の解散により当選者には1000万円の補償金が支払われます)。

| ペプシのボトルキャップ戦略

日本で初めてプライズ(景品)の形でボトルキャップが付いたのは、98年秋のペプシコーラです。前年、サントリーは日本におけるペプシコーラの製造・販売の権利を手に入れていました。すでに世界的なブランドであるペプシでしたが、日本においてはまだまだマイナーな存在。日本でのブランド認知を上げる原動力となったのが、ペプシにオマケをつける「オンパックキャンペーン」です。

ここで、登場した新たなスタイルのプライズがボトルキャップ。フィギュアとプラスチックのキャップを組み合わせた形状のものです。当時はアメコミの『SPAWN』を始め、リアルなフィギュアのブームがすでに浸透済み。ここに目を付けたサントリーは、リアルな造形のフィギュアをオマケにすることでファン層の拡大を図りました。

翌99年には、長年コークと契約していたキラーコンテンツ『スター・ウォーズ』をペプシがついに強奪。キャラクターボトルキャップのオマケをつけたキャンペーンで、見事に社会現象を巻き起こしました。

ライトなファンの入門グッズに最適であり、フィギュアに興味がなかった層の関心も集めたこのボトルキャップの人気は絶大でした。ペプシが全コーラ販売量のシェア6割を占め、キャンペーン自体も品切れを理由に1ヶ月足らずで終了してしまうほどだったのです。