“必要なのは誰にも負けない努力”至高の指導者が残したリーダーたちに贈る言葉

人物ネタ

京セラやKDDIを創業し、JALの再建に取り組んだリーダー故稲盛和夫氏。この記事では、そんな稲盛和夫氏がどのような考えをもって人生を歩んで来たかをまとめていますいま現在リーダーを担っている方、次代を担うリーダーの方、リーダーとしての役割を終えようとしている方にとっても、大きな気づきがある内容だと思います。

| 思いは実現する

素晴らしいリーダーとは、その集団のあるべき姿を描ける人です。あるべき姿とは理想像であり、目標でもあります。そして、その目標を達成するために必要となる手段を具体的に考え続ける人でなければなりません。考え続けていると、次第に結果が見えてきます。実際には、まだ実行に移していないのに、頭で考えているうちに結果がはっきりと見えてくるのです。うまくいった姿、目標に到達して、喜びにあふれている自分の姿すら想像できるようになってくるわけです。そこまでくると、実行することに対する確信のようなものが湧いてきます。必ずできるという、えも言われぬ自信が湧いてくるのです。理想を追求するために考え続けていると、それが潜在意識に浸透し、実現に向かって自分を動かしていくという状態になるのです。

一生懸命やっているつもりだけど業績が伸びない、努力しているけれどもなかなか売り上げが増えないとすれば、「倍増なんてムズカシイぞ」と、リーダーが少しでも思ってしまっているからです。リーダーの精神構造そのものが変わらないことには、業績も絶対伸びないということです。2倍は行けないと思う人は、4倍としてください。そうして、4倍にチャレンジしれいれば、半分くらいはいくでしょう。多くの人を預かるリーダーは、その集団を幸福へ導く責任があるだけに、一度目標を決めたなら、どんな困難があろうとも、決してあきらめることなく、目標を達成しようという執念にも似た強い意志が、体の奥底から湧き出てくるような人でなければならないはずです。潜在意識に透徹するほどの強烈な願望を持って、目標の実現をひたすら目指していく、朝から晩まで、1日24時間、毎日いつもどうにかして目標を達成したいと考えている、そのようなリーダーの「ど真剣さ」が、目標達成の鍵となるのです。そして、リーダーは、その思いを職場の全員で共有していかなければなりません。少し言ったくらいで、リーダーの思いが集団のメンバーに伝わるわけではありません。自分の思いがエネルギーとなってほとばしり、相手の思いの強さが自分と同じレベルに高まるまで、繰り返し繰り返し徹底して話し込むことが不可欠です。

| 努力を重ねる

素晴らしい企業経営をするにしても、素晴らしい人生を生きるにしても、誰にも負けない努力をする。このことを除いては、会社経営の成功も人生の成功もありえないと思っています。極端に言えば、一生懸命に働きさえすれば、どんな不況がこようとも、どんな時代になろうとも、充分にそれらを乗り切っていけると思っています。朝早くから、夜は1時、2時まで働いていました。それを連日のように繰り返し、誰にも負けない努力を重ねてきたわけです。この自然界は一生懸命生きることが前提になっています。少しお金ができたり、会社がうまくいくと、少しはラクをしよういう不埒な考えをするのは、我々人間だけなのです。そして、自分の仕事を好きになり、惚れてしまえば、どんな苦労も苦労とは思わなくなるものなのです。

| 強い意志を持つ

自分の描いた目標を達成するためにはどういう方法があるのか、どういうことをやればいいのかを一生懸命考えることです。すると、いい方法が浮かんできます。いい方法が浮かんでくると、ただちに実行に移します。実行に移すと、たいていは思ったとおりにうまくいきません。そうすると、さらに考えるわけです。考えては実行に移し、実行に移してはさらに考えるということを繰り返していくと、思考力は素晴らしく飛躍、発展していき、実行力はさらに増していくのです。そうすると、目標は必ず達成できるようになる。とは言え、「こんなことをを進めていて本当にうまく行くのだろうか」という不安が頭をもたげてきます。しかし、そんな迷いを吹っ切って、「決してそんなことはないはずだ」「これほどの創意工夫を重ねて、考え抜き、人の2倍も3倍も努力して、それが失敗するはずがない」「必ず突破できる」と、自分自身をはげまし、自分自身を勇気づけることが大事なのです。

京セラをつくってもらって「世界一の山に登ろう」とみなに話したときのことです。そのときに、どうも私がやりたいことは、ものすごく峻険な山を登ろうとしているようなもので、自分の身の程も考えないで、登れそうにない山を登ろうとしているような気がしていました。でも、目の前に聳え立つ岩壁にとりついて、ロッククライミングみたいにしてよじ登って、部下の連中にも「ついてこい」と言って、更に登っていく。「もうついていけません」「やめる」という人も出てくる。そんなとき、別の私が私にこう言います「みんながそう思っているのであれば、何もここに山があるからといって、垂直登攀で登っていく必要はないんじゃないか。おそらく途中でみんなが、そして、お前が落ちて死ぬかもしれない。それならもっと迂回して、ゆっくり登っていけばいいじゃないか」と。しかし、そのとき私は「いや、その方法はとらん。それは悪魔のささやきだ」と思ったのです。多くの人は、そういう風に妥協してしまうです。はじめは高い峻険な山に登っていくつもりでいても、垂直に登っていくのは不可能だということで、徐々に登っていこうとする。ところが迂回しているうちに、頂上が見えなくなってしまう。そして、まだ五合目にも達していないうちにあきらめてしまうのです。つまり、ゆっくりゆっくり登っていこうとすることは、自分自身に妥協して、結局は当初の目的の何分の一も達しないままに一生を終わってしまうということなのです。

| 参考文献

(著者)稲盛和夫|(書名)誰にも負けない努力|(出版社)PHP