「どの会社売るか決まった?」銀行に追われたヒルズ族の兄貴分が語る、10年のロスと再起の物語
10年のロスと再起の物語
A 10-year story of loss and reinvention.
成功と失敗、そのどちらの極端な感覚も持たないまま、60歳の節目を迎えた一人の経営者。彼の話は、大阪という商人の街での幼少期から始まり、経営者としての長い道のりに至る。彼の物語は、ただのビジネスマンの記録ではなく、夢を追い続け、時には大きな失敗に直面しながらも、絶えず前進し続ける姿勢の証である。
大阪有線放送社の舵取り
彼のビジネスキャリアの転機は、父親が興した大阪有線放送社の経営を引き継いだことだった。この決断は、彼の初期の成功と、その後のリーマンショックによる苦難へと続く。彼は自らの事業を通じて、社会をより良くし、日本を強くしたいという願望を持っていた。ITバブルにわいていた2000年前後、業界のベンチャー企業はM&Aを繰り返すことで時価総額を引き上げる経営手法で躍進しており、交流のあったIT企業のスピード感を間近で体感し、「自分もこの波に乗らなければ後れをとってしまう」と、焦燥感に駆られていた。そうして時代の波に乗るようにして、大阪有線放送社から有線ブロードネットワークス、USENと社名変更し大型のM&Aを繰り返していった。彼のこの野心的なM&A戦略は、最終的に彼にとって大きな挫折をもたらすことになる。
リーマンショックとその影響
リーマンショック前の決断は、経営者としての彼の人生に10年のロスをもたらした。リーマンショックが起き、子会社を含めて1000億円以上の損失が計上されたのだ。連日、昼夜問わず銀行から「どの会社売るか決まった?」「再建案を出せ」という電話が入るようになる。インテリジェンスやGyaOをはじめ、自分が手掛けた企業を売却せざるを得なくなるが、特に、彼が情熱を注いだGyaOの売却は、彼にとって極めて苦痛な経験だった。しかし、この時期には、苦難の中にも学びと成長の機会があった。ハードな状況を乗り越えるためにも体力をつけようマラソンを始めるなど、彼は自己改善に努め、困難を乗り越えるための精神的な強さを培った。
U-NEXTへの挑戦
唯一、買い手が見つからなかったU-NEXTを引き継ぎ、再出発を図った。多くの疑問と批判に直面しながらも、彼はこの事業に対して確固たる信念を持っていた。映画のオンライン配信という、当時としては革新的なアイデアに賭け、結果として、U-NEXTは成功を収めることになる。
再考と展望
経営者としての道のりは決して容易ではなかったが、彼はその経験全てが自身を成長させ、より良い将来への基盤となったと考えている。「人間万事塞翁が馬」という座右の銘を持ち、彼は過去の失敗から学び、常に前を向いて進むことの大切さを説く。彼の物語は、挑戦と困難を乗り越え、絶えず進化し続けることの重要性を教えてくれる。
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