すべては一台のマルチミキサーからはじまった。世界最大のファストフードチェーン成功のワケは「ゴミ箱の中に」ある
成功はゴミ箱の中に
GRINDING IT OUT
時代を変えるビジネスの物語は、しばしば一人の革新者から始まります。レイ・クロックとマクドナルドの出会いは、単なる偶然ではなく、運命的な瞬間でした。この物語は、一台のマルチミキサーから世界最大のファストフードチェーンへと発展するまでの驚くべき転換点を迎えます。レイ・クロックがマクドナルド兄弟のビジネスモデルに出会い、それを世界中に広げるための決意を固めた瞬間、新たなビジネスの章が開かれました。
レイ・クロックとマクドナルドの出会い
レイ・クロックはマクドナルドコーポレーションの創業者で、マクドナルドをフランチャイズ展開して、世界最大のファストフードチェーンに仕立て上げた人物です。チェコ系ユダヤ人の両親のもとにイリノイ州シカゴ西郊のオークパークに生まれました。少年時代のレイは、読書や勉強は好きではなく、活発に動き回るほうを好みました。そして、高校中退後の第一次世界大戦中に15歳で救急車ドライバーの訓練を受け衛生隊に所属します。して、終戦後はピアニスト、リボン小物のセールスマン、金融会社、紙コップのセールスマン、ジャズ演奏家、バンドメンバーなど職を転々とするようになります。そして、新たなる目標を探していた時に、チャンスは「マルチミキサー」という6つの回転軸を持つ機械となって現れたのです。
独立して、マルチミキサーのセールスで生計を立てると決め、ドラッグストア、ソーダ・ファウンテン、乳製品の小売店など、全米を営業で回りました。そのような中でも、彼はその仕事を続けながら、次なるビジネスチャンスをお逃さないように注意を払っていました。やがて、そんな彼の元に、決まった台詞のオーダーが度々入るようになります。それは、「カリフォルニアのサンバーナーディノでマクドナルド兄弟が使っているのと同じマルチミキサーを一台売ってくれよ」というものでした。「マクドナルド兄弟とは、いったい何者なのだろう?」大いに好奇心をそそられたレイは、早速ロサンゼルスに飛び立ちます。そして、全世界に展開するマクドナルドのフランチャイズシステムを創り上げるまでに至るのです。
マクドナルドとの衝撃的な出会い
1930年代初頭、南カルフォルニアにおける外食産業の成長には目覚ましいものがありました。大恐慌の影響で、派手な消費生活は消える一方で、ドライブイン方式のカジュアルなレストランが人気を得、市内の駐車場から近郊のハイウェイ沿いまで拡大しつつあったのです。マクドナルド兄弟のお店の外見は普通のドライブインと何ら変わりなかったのですが、スタッフは全員パリッと糊のきいた白いシャツとズボンに、紙製の白い帽子をかぶっていました。当時の一般的なアメリカのドライブインの衛生状態はとても良いものとは言えず、清潔感という意味において、マクドナルドは圧倒的に優れていました。
また、そのビジネスモデルは、極めてシンプルで効率的なものでした。ハンバーガーのメニューはハンバーガーとチーズバーガーの2種類、フライドポテトとソフトドリンク、ミルクシェイク、コーヒー、これがメニューのすべてだったのです。さらに、パテを焼く者、バンズを挟んで包む者といった具合に分業化体制を整えられ、客が注文してからハンバーガーが出されるまで30秒以内を実現していました。レイが兄弟のお店を観察してから間もなく、開店時間になると車が次々と現れて、客の行列ができていいました。客がひっきりなしにカウンターにやってきては、ハンバーガーでいっぱいの袋を抱えて車へと戻っていきます。近くの建設現場からは、職人が毎日やってきてはハンバーガーにかじりついていました。ゴミひとつ落ちていない店内と駐車場、一斉に稼働している8台のマルチミキサーを見た瞬間、レイは確信します。
「これは、私がいままで見た中で最高の商売だ!!」そして、事業について詳しく聞くためにマクドナルド兄弟をディナーに誘い出し、フランチャイズ展開を打診することになります。マクドナルド兄弟はフランチャイズ展開をためらいましたが、レイの情熱に押されるようにして応じました。レイは彼らと契約を結びます。売り上げの1.9%をレイが取り、0.5%を兄弟に提供するという条件で契約は成立しました。レイ・クロックのベンチャー魂と、アメリカ社会の持つ自由な精神が、世界で最も理想とされるフランチャイズビジネスの誕生につながっていったのです。特筆すべきは、レイは飲食業のプロではなかったことであり、アウトサイダーとしての客観的な目で事業の将来性を見抜いたことにあるでしょう。日本のビジネスマンであれば定年後のことを考える年齢である52歳でハンバーガーチェーンの構想をしたということも驚くべきことです。そんな彼が成功に至るまでの具体的エピソードが、数々の失敗や挫折も含め「成功はゴミ箱の中に」にふんだんに盛り込まれています。
ヒット商品の生み出し方
マクドナルドに新しく投入された商品として、フィレオフィッシュやビッグマック、ホットアップルパイ、エッグマックマフィンなどがありますが、これらはロングセラーの大ヒット商品となりました。興味深いのは、これらの商品のアイデアがフランチャイズオーナーのアイデアから生まれたということです。会社は一人ひとりのオーナーの発明により利益を得て、オーナーは会社の広告力や企業イメージにサポートを受けている状態がレイが理想とする資本主義の在り方でした。そして、マクドナルドが成功した理由は、低価格でバリューの高い商品をスピーディーかつ効率的に、清潔で心地よい空間で提供することにあったのです。
成功はゴミ箱の中に
レイは、自社の強みを鍛え、品質、サービス、清潔さ、付加価値に力を入れて、 競争相手と正々堂々と戦うことを心掛けていました。マクドナルドには競争店からスパイが送り込まれてくることもあったと言います。しかし、レイは言います。「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている」と。
レイ・クロックの言葉
「勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをする。」
「私は細部を重視する。事業の成功を目指すならば、ビジネスにおけるすべての基本を遂行しなくてはいけない」
「あきらめずに頑張り通せば、夢は必ず叶う」
「未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる」
「常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、ハードワークを愛せる人物なら誰でも成功できる」
「相手が溺れかかっていたら、そいつの口に注水ホースをねじこんでやるね」
「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればいい。知りたいものは全部転がっている。私が深夜2時にゴミを漁って、前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したのかを調べたことは一度や二度ではない。」
「やり遂げろ。この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う。才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う。恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世界にいる。教育も違う。世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である」
「新店舗は、景気の悪いときこそ建てる。なぜ景気が上向きになるのを待たねばならない?そんなことをしたらいまよりずっと金が掛かる。土地を買うに値するならすぐに建物を建て、ライバルより先に店を開く」