過去の教訓と未来への警告、首都直下地震と南海トラフ地震への備え

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新年の幕開けと共に、2024年1月1日午後4時10分に石川県能登地方を中心に起きたマグニチュード7.6、最大震度7の地震は、日本各地にその影響を及ぼしました。気象庁により「令和6年 能登半島地震」と命名されたこの自然災害は、地震や津波、地面の隆起を引き起こし、その発生メカニズムが大きな関心を集めています。過去の災害と比較して、首都直下地震や南海トラフ地震のような大規模な災害の脅威に対して、どのように備え、対処するかが今後の大きな課題となっています。

| 令和6年 能登半島地震

2024年1月1日、午後4時10分に石川県能登地方で発生したマグニチュード7.6、最大震度7を記録した地震は、全国各地で揺れを引き起こしました。この地震は気象庁によって「令和6年 能登半島地震」と名付けられました。甚大な被害を伴うこの地震や津波、そして地面の隆起がどのようなメカニズムによって発生したのかが注目されています。

2011年の東日本大震災以来、初めての大津波警報が能登半島地震の発生を受けて発令されました。この地震により、沿岸部にはすぐに津波が到達し、特に石川県の能登町や珠洲市では4メートルを超える津波が観測されたことが明らかになっています。東北大学などの調査によると、珠洲市では津波が地震の約1分後に既に到達していた可能性があります。

これは、陸に近い海底の活断層の動きにより第1波が迅速に到達したためであり、さらに遠浅の地形も影響し、津波が海底で跳ね返るなどして、繰り返し押し寄せたとみられています。さらに、気象庁の現地調査では、新潟県上越市で最大5.8メートル、石川県では能登町白丸で4.7メートル、珠洲市飯田港で4.3メートル、内浦総合運動公園で4メートルの津波到達高を確認しました。

| 首都直下地震想定の根拠

2014年、政府の地震調査委員会が示した首都直下型地震は「今後30年で70%」で発生るするという数字があります。これは過去に発生した8つの大地震を根拠にしています。上図❶~❽の大地震は、1703年の「元禄関東地震」(M8.2)と1923年の「大正関東地震(=大正の関東大震災)」(M7.9)の間に発生しています。地震調査委員会は「元禄関東地震」から「大正関東地震」までの220年間を1つのサイクルとして、今後のマグニチュード7クラスの大地震の発生確率を予測しています。220年の間に8回発生しているため、単純に計算すると27.5年に1回になります。これをもとに地震学で用いられる将来予測の計算式に当てはめると「今後30年以内に70%」という発生確率が導き出されます。

また、この220年間を前後半に分けると、前半の100年間は1782年の「天明小田原地震」だけですが、後半では「関東大震災」の前年とその前年に合わせて2回、それに1894年から翌年にかけては3回などと大地震が相次いでいます。

「関東大震災」からすでに100年近くが経過し、これから活動期に入ると指摘されているのです。

| 南海トラフ地震想定の根拠

画像NHK:より

南海トラフ地震は、東海から九州まで東西およそ700キロに及ぶ南海トラフに沿って発生する巨大地震です。この地域ではこれまでおおむね100年から150年の周期で、マグニチュード8クラスの巨大地震が発生しています

南海トラフ地震の被災地は「太平洋ベルト」と重なっており、この巨大地震が日本経済全体に及ぼす影響は計り知れません。。ここには日本の人口の半分が暮らし、工業製品の出荷額は国内のおよそ7割を占め、国が被る経済的被害は、最大でおよそ214兆円と言われています。これは東日本大震災の被害の10倍以上、日本の国家予算の2倍にもなります。

日本に住む半分が被災するとなると、助ける人と助けられる人が同じ人数。1人で1人を助けなければならず、結果として行政の支援の力も足りなくなります。日本人は歴史上、何度も地震を乗り越えてきました。自ら知識をつけて、自らの力で生き残っていくことが大切なのです。

過去の大地震による被害状況

関東大震災の死者・行方不明者約10万5000人のうち約9割が火災によるものでした。東日本大震災(2011年)で亡くなられた方の9割は津波による溺死、阪神・淡路大震災(1995年)で亡くなられた方の約8割は家屋の倒壊や倒れた家具などの下敷きによる圧死でした。能登半島地震(2024年)で亡くなられた方の41%は倒壊した建物の下敷きになったことなどによる「圧死」、次いで「窒息」や「呼吸不全」で亡くなられた方が22%でした。「低体温症」や「凍死」14%にのぼり、真冬に起きた災害で、多くの人が救助を待つなどする間、寒さによって体力を奪われ、亡くなったとみられる実態が浮き彫りになりました。